諏訪、大地が滅ぶ場所【かんたまん】


チャットモンチー 『たったさっきから3000年までの話』

 

テスト勉強を放り投げて外に出たら、一面なめらかな休日の夕方だった。頬に冷たい風を感じながら自転車で川沿いを走る清々しさは筆舌に尽くしがたい。尽くしがたいので、ここには書かない。

僕は自転車が好きだ。特に夕方から、夜にかけて。それに自転車と同じくらい、夕暮れのブルーが好きだ。そういう時決まってBGMはアジカンなんだけど、今日はチャットモンチーの『たったさっきから3000年までの話』を聴いていた。綺麗な歌だ。

年明けに悪友と旅した諏訪でも、ぼくは自転車を漕いだ。電動でカゴと荷台のある、典型的なママチャリは中学生みたいで寧ろワクワクした。諏訪では「マスヤゲストハウス」という居場所も見つけ、僕はすっかり諏訪を気に入った。

諏訪湖諏訪大社岡本太郎が愛した石仏などを目指して走ったけど、実はどの観光地もあまり印象には残っていない。自転車で、知らない街を一周すること、それだけで僕の好奇心は満足したのだ。あと何年この感覚は僕のモノでいてくれるのだろうか。

 

なめらかな休日の果て、ぼくは駅前にたどり着いた。本屋でマンガを買って、喫茶店でしこたま読んだ。隣の受験生は、僕に見向きもせずに色々励んでいた。

今日読んだのは『北北西に雲と往け』という、カッコいい主人公がアイスランドでカッコよく過ごす漫画だった。面白かった。

アイスランドが海嶺という、大地(プレート)が生まれる場所にあるのは有名な話だ。僕でも知っていた。この作品でも、できたてホヤホヤの大地が描かれていたが、そこは草木も生えぬ荒れた岩の大地らしかった。生命の居場所ではないらしい。そんな大地が天文学的遠近法の彼方で豊かな緑に覆われていくのだ。

 

「大地の生まれる場所がアイスランドなら、滅ぶ場所はどこだろう?」―答えは日本だ。諏訪と言ってもいい。アイスランドで生まれるユーラシアプレート・北米プレートは、日本のフォッサマグナ付近で沈み込んでいくらしい。「諏訪は、大地が滅ぶ場所なんだ」と思うと、僕は思わずドキドキした。

厳密にはプレートの形成や沈み込みはそんな局地的に起こる現象ではないんだけど、とにかく自分に馴染みの深い諏訪と、最果ての地に思われたアイスランドが繋がっているのは、単純にロマンチックだと思った。

 

自転車で諏訪を思い出し、たどり着いた本屋で買った漫画でアイスランドに思いを馳せ、アイスランドと諏訪との繋がりにロマンを感じる。ちょっとズレるかもしれないけど、僕が「学問」を好きだと感じるのは、こういう「繋がり」を感じる時だ。

繋がりを感じるために、僕は頭脳を持って生を受けたのかもしれない。知識の宇宙のあちこちで、断片的な知識や出来事が繋がって、物語を創造する。僕はそういう物語を眺めているのが、何よりも面白くて好きだ。

 

 

 

砂漠【しとろん】

淡々と流れる人生を読む方がすき。
ミステリーとか、冒険とか、そんな壮大で忙しい人生じゃなくてさ
毎日の、シチューをコトコトさせたり、愛し合ったりする話がすき。
人が死んだり、地球が爆発したり、そんなの心がつかれちゃうじゃん、
もっと縁側で昼寝しながら見る夢みたいな話を聴かせて欲しいの。

 

 

 

 

 


でも自分だったらさ、劇的な人生も送りたいの。
吐くまでプレッシャーを自分にかけて、死ぬ程がんばって、圧倒的なものを手に入れたかったりもするの。
だって絶対達成感半端ないじゃん。
志望校に受かったあの達成感、忘れられない。
それ以上の達成感に出会って、自信と自己愛に溺れたい。

 

 

 

 

 

 


でもそんなの、しんどいじゃん、てさ。
頑張りたくないやりたくない逃げたい楽になりたい諦めたい諦めたくないしんどい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
そんな感情に刺されて生きて、死んでるより死に触れて、そんな人生まっぴらじゃん。

 

 

 

 

 

 


結局楽してちょうどいい人生が送りたいの。
そんなんじゃ何も成し遂げられないって?つまらないあらすじだなって?
いーじゃん、結局、結局、自分はそうなんだって。
100%頑張った、そう思えるのって、ほんと無理だもん。
いつもどこかに、逃げと、妥協が、生まれちゃうんだもん。
激動の話なんてそんな本、たくさんあるじゃん、
それ読んでさ、人の人生に勝手に陶酔してるほうがよっぽど楽だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな自分が嫌いでさ、
きょうも自分と戦おうと思ってるんだけどさ、
逃げて言い訳して妥協して、
結局不戦敗なんだ、
こんな人生やだな、
強くなりたい、
強くなりたい。
強く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日ね、

思うのは簡単だって、気づいたんだ、
なんでも出来る気がしたよ、ちょっと前までね。
動こうと思った時に、動きたくないって思う自分がいるの。
それって私の意思じゃん?
結局望むのは淡々とした物語なの。結局。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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私の人生はね、
少しの幸せと、やるせなさが欲しいの。
ベッドの上で何もしなかったり、バイトだらけのストレスフルな夜が何日も続いたり、そんなのは嫌で、
丁度いい安定と不安定が欲しいの。
太陽で起きて、ハーブティーを少しずつ飲んで、前を向いて髪を結びたいの。
直面したちいさな不都合に、律儀に異議を唱えながら、
それでも静かに眠りにつきたいの。
幸せに、幸せに、不幸せに、幸せに、
物足りなさを覚えながら、気付かないふりをして、
幸せを装って、
幸せに、幸せに…

 

 

 

 じゃんもん

 

 

 

 

 

 

 


惰性で生きてるしとろんの、ありがちなお話
じゃんも〜ん

コットンキャンディ【都会を走る猫】


「すごい速さ」~andymori ライブハウスツアー"FUN!FUN!FUN!"ファイナル @ LIQUIDROOM~

 

題名がなんか芸名みたいになってるね。

なんでこんな題名にしたかって?

この記事を漆原が読んだら、きっとケラケラ笑いながらこんな風に揶揄してくるんだろうなって思ったから。

 

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風邪が治り、外も暖かそうだからとふらふらと行く宛もない散歩に出る。

右も左も気にせずイヤホンをつける、携帯はマナーモード。

ぼくの英雄が耳元で静かに革命を囁いている。好きな服を着て好きな音楽を聴いて街を歩く。最強の装備だ。ありきたりな話だけどこうしていれば僕は何にでもなれる、気がした。

 

一人ぼっちで始まったこの街ももうすぐ2度目の春がやってくる。

気の許せる友もいくらかできた(そんな極少ない悪友たちとこんな阿呆なことをしている)。

なんの変哲も無い田舎町も住めば都、愛着ってのも湧くもんだ。

初めて3人で集まった日が懐かしい。

 

そんな取り留めもないことを考えていたらそんな田舎町に突如人だかりが見えてきた。

ぼくは遂にこの街も終わりか、集団ヒステリーなどでも起こしたか。

いやそれとも今から起こすのか?巻き込まれやしないか?と少し本気で思った。

が、どうやらそうではないらしい。

そう大きな化け物が現れたらしい、それも伝説の。これはいけない、と思いとっさに携帯の機内モードを解除する。

通信制限という邪魔者をどうにか退け、さあこれでぼくも参戦だ!と意気込んだ瞬間その怪物は消えていた。

 

どうしてだろうか、ぼくは昔からタイミングが悪い。

耳元で優しく騒いでるこのバンドもステージから消えていったし、何があってももう会えない奴だっている。

大好きだったあいつも今はぼくの近くにはいない。

「いい人たちほど早く逝ってしまう。」

先日話した友人がこんなことを言っていたのを思い出す。

たまたまだよ、でも必死に日々を生きなきゃね。そう返したっけか。

 

でもこの友人が言っていたことが真ならぼくら3人は不死身なんじゃないか??

 

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最後まで読んで頂きありがとうございます。ずっと寝たきりだった身体と頭を叩き起こし記事を書こうとしましたが見ての通りボロボロで話が一転二転三転四転、白井健三かて。はい。うん。まあお喋りな性格のせいですね。次はもっとまともなこと書きます。たぶん。因みにこの散歩の果て私はスターバックスなる場所に迷い込みホワイトモカとシュガードーナツのたった2つで760円が飛んでいきました。昨日食べた高菜明太マヨ牛丼大盛り3点セットと同じくらいでした。身の丈に合わないことはしないことですね。反省。猛烈に反省。

それではじゃんもーん。

 

 

 

 

 

 

 

深夜に読め。深夜以外には読むな。【うるのん】

 

現在AM1:49。

 

いわゆる深夜である。

 

作業や勉強が捗り、ついつい夜更かしをしてしまう事は多々あるだろう。もちろん布団の上でスマホをダラダラといじってこの時間になるのも悪くない。

 

時間は誰にでも平等に与えられているから。

 

いつもの感じで行くと、「そもそも、時間ってなんだろう?」ってなりそうだけど、今日は違う。

 

深夜における慢性的で不可避な問題、それは

 

空腹。

 

…そう。今回は深夜に飯を食おうという話である。

 

あまりにもお腹が空いて寝れない時、みんなはこう考える。

 

「今食べたら太る」と。

 

しかし僕はこう考える。

 

「お腹があまりにも空いて睡眠に支障が出るというのは、明らかに体からSOSが出ている証拠である。なにより、そこまでしてとった睡眠に価値があるのだろうか?明日世界が終わるとしたら、前日の空腹を我慢した事を悔やみながら死ぬのだろう」と。

 

なんだか聖書のような文体になってしまったが、いつもこのように理由をつけてのそのそと布団から出る。

 

台所に行って冷蔵庫をあける。

 

絶望的なまでに閑散と緊張に満ちたそのフィールドには、最後の晩餐たり得るかもしれない食材は見当たらなかった。

 

気をしっかりと保ち野菜室に手をかける。

 

摂取カロリーより消費カロリーが多いことから「緩やかな餓死」を促す食材として有名な「セロリ」でもあればいいなと期待を込めて一気に野菜室を開ける。

 

トマト、キュウリ、ニンジン、タマネギ…

 

見慣れたオールスターズが首を揃えて居座っていたが、肝心の「セロリ」は見当たらない。

 

じゃがいもがあったのでそれとチーズでなにか作ろうかと思ったが、深夜に芋の下ごしらえなんて誰がしたいのだろうか。

 

一瞬よぎった「ジャガイモのパイユ」案は夢の彼方に散っていった。

 

冷蔵庫に希望の食品が無く、あまりの落胆ぶりに体がラーメン屋に向かおうとしているのを必死で抑える。

 

そう。実は家から徒歩20秒のところに深夜営業のラーメン屋があるのである。

 

深夜のラーメン。それはまさに悪魔的旨さという表現がぴったりである。

 

睡魔により少し機能が衰え始めた脳への、あまりにも刺激的な香り。深夜の乾ききった心と体に染み渡るスープ。僕らの不安や焦燥を一手に引き受け、胃の中へと一緒に心中してくれるあの麺達の事を想像すると涙とよだれが止まらない。

 

柔らかで口の中でとろけるチャーシューやトロリとしていてなお濃厚なアクセントをもたらす煮卵、健康的な朝を迎えたいだろうと満面の笑みで食されるのを待っているホウレンソウや海苔。

 

この世の全てが詰まった「ラーメン」という神聖な食べ物を深夜に食す。これに勝る至宝があるだろうか?(いや、あるとは言わせない。)

 

しかしもちろん後先のことを考えず台所に立っている今、ラーメンを食べに行かない理由はどこにもないのだが、そこはいかんせん人間である。

 

「深夜のラーメン、うまいけど今月もう3回くらいやっちゃってるしそろそろ太るんじゃね…?」

 

という思想が重い枷となり行く手を阻んでしまった。

 

どうしようかと途方にくれて俯いた時、一筋のひかりが見えた。

 

そう。インスタント食品である。

 

なぜかこの時期になるとインスタントの天ぷらうどんが大量に家にある。本当になんでだろう。

 

もうこれしかないと藁にもすがる思いで調理方法を見る。

 

1 開けて中のものを取り出し水を入れ火にかける(容器はアルミの鍋のようなものだった)

 

2 沸騰したら具を入れ3分待つ

 

3 完成

 

…あまりの簡単さに虚を突かれたような顔になってしまった。本当にこれだけの手順で深夜の腹を満たし、無事に朝を迎えることができるのだろうか?

 

半信半疑のまま調理とは呼べないような調理に取り掛かる。

 

まずはビニールを開けるところから。

 

しかし空腹によるジワジワとした焦りがビニールを剥がす手を滑らせ、中々次のステップに移行することができない。

 

もがき苦しみながらもやっとの思いでビニールを剥がし、中身を取り出す。

 

そして手順通り、水を入れて沸騰させる。

 

沸騰するまでの時間が待ち遠しい。一日千秋とはまさにこのことである。

 

無事沸騰した熱湯の中にうどんと天ぷらを入れる。

 

ここで3分待つわけだが、2分ほど経ちもうそろそろ飯にありつけるぞ、と意気込んでいるまさにその時にどこからか声が聞こえてきた。

 

「それ、"月見"天ぷらうどんにしたくない?」

 

ハッと気がつきタイマーを見るとまだ45秒ある。

 

急いで冷蔵庫から卵を取り出しガンガンと品性のかけらもない音を出しながらヒビを入れ、鍋の上でぱっくりと割る。

 

そしてすぐさま蓋をして綺麗な月見うどんが出来上がることを約30秒間必死に祈った。

 

祈りが届いたのか、蓋をあけると綺麗な満月がそこには浮かび上がっていた。

 

これで僕の深夜の腹は満たされる…

 

安堵の中熱い鍋を皿の上に乗せ、意気揚々とそれを机に運ぶ。

 

いただきますと言うやいなや、箸を破り、一思いに満月を突き刺した。

 

綺麗に溢れ出てくる卵黄が鍋の中を金色に染めていく。

 

立ち上るまろやかな香りがハッキリとした輪郭を持つようになり、僕の箸はそのままうどんを掴みにいっていた。

 

箸をに麺絡めすくい上げると、純白の身に綺麗な金色が映えている。

 

それを一思いにすすって__________________

 

 

 

ここから先のことはほとんど覚えていない。

 

気がついたら目の前には空になって誇らしげな、しかしどこか寂しげでもあるアルミの鍋がポツンと置いてあるだけだった。

 

ふう、と一息ついて布団に戻る。

 

携帯を充電器にさして、目を瞑る。

 

ああ、これで快適に眠れる。空腹という名のサタンは銀河の藻屑と消えていったのだ。

 

また深夜に飯を食う機会があれば次は何にしよう。

 

そんな事を考えながら、深い眠りについた。

 

 

(みんなおやすみ、じゃんもん!)

 

 

もう少しもがいてみたい RADWIMPS 『正解』レビュー 【かんたまん】


【18祭】「正解」RADWIMPSと1000人の18歳、感動の歌声

 

RADWIMPSの『正解』がめちゃくちゃ良かった。しばらくRADは追っていなくて、年末にいかにも大学生チックでプラトニックな『そっけない』のMVを見てため息をついたくらい。

もちろん『そっけない』も好きなんだけど、あの小松菜奈の浮世離れした、美しいMVを観ている時、僕はものすごく「遠さ」を感じた。だからこそ今回、「18祭」で僕ら若者にダイレクトに想いをぶつけてくれてくれたのがとても嬉しかった。

まず曲に入る前の洋次郎のMCがいい。すごくいい。

毎日が刺激が欲しくて、「何かやってやろ」って気持ちと、でもなんか大馬鹿ではいられないから、どっかでやっぱ苛立ちがずっとがあって、その答えがちょっとだけわかった気がして、自分だけの正解を何かしら見つけたいんだなっていうのを…未だに僕は多分、それをやっていると思うので、皆さんと多分、本当に全く一緒だなって思ってます、そういう想いで作りました。

こんなことをセキララに宣言できる大人に僕はなりたい。もっと言えば、若者の弱さを持ったまま大人になりたい。なりたかった。

僕は今18歳11ヶ月という場所にいて、いつも正解のない問題に直面している。もしかしたら、問題が何なのかも分かっていないのかもしれない。目と鼻の先には「就活」「進路」みたいな現実も横たわっているし、自分の内側には「人生の主役は自分ではない」と気づいている自分もいる。それでも僕らはずっと答えを探している。RADの彼らも結局は同じなのだ。この曲を通じて、彼らはあくまで同じ探求者として寄り添っていてくれるのだ。

僕はこの「人生の答えを探す」という営みをとても美しく、価値のあるものだと思っている。もっと大げさに言うと、この行為は人生に対する「信仰」なのではないかと思っているのだ。

RADWIMPSはこの曲の中で「いつも正解など まだ銀河にもない」と言っているけど、本当にその通りだと思う。例えどんなに長い間探し求めたとしても、答えなんかありはしない。それでも答えがあると信じて、もがき続ける。その過程にこそ本当の価値があるんじゃないかと思う。人生そのものだと断言してもいい。

 

話の切り口がだいぶ見えにくくなってしまったけど、僕は今のところ自分の人生を信じてみようと思っているし、そう思っているからにはもう少しもがいてみようと思っている。このブログもそういう目的で始めたので、まだ何を書いていくのか、何を目指しているのか、全く定まっていない。

その上このブログは悪友3人共同で始めたので、いよいよコンセプトなど定まるはずもない。でも、それでもいいと思っているし、何ならいらないよね、っていう尖ったスタンスを取ってみてもいい。ここはそういう場所にしていきたい。

どうせ焦るなら、力いっぱい焦ってやろうと思う。このブログが、その爪痕として残ってくれたらちょっと嬉しいな、とか思ってもないことをここに書いておく。じゃんもーん。

 

ANTI ANTI GENERATION(通常盤)

ANTI ANTI GENERATION(通常盤)

 

 

 

夢なんて物騒な事言うな【うるのん】

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を書こうと思ったかって?

 

それはね、僕が小説家を目指してるからさ。

 

みんなが使っている「言葉」の選び方と並び方を変えるだけで人を感動させられるなんて、素敵な職業じゃないか?

 

自分の頭の中で起こる素敵なストーリーだって余すところなく人に伝えられる。もちろん美味しいクッキーと紅茶も添えてね。

 

それに自分の書いた作品が本屋に並ぶなんて、こんな素敵な事はないだろう?

 

もしかしたら君が好きなあの小説家のあの本のとなりに僕の本が並ぶかもしれない。

 

想像しただけでワクワクするね。

 

だから僕はブログを始めたんだ。

 

小説家になるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を書こうと思ったかって?

 

それはね、僕が俳優を目指してるからさ。

 

俳優ほど素敵な職業、僕は思いつかないね。

 

だって、僕が僕じゃない人生を借りれるんだから。

 

でも、僕が僕じゃない人生を生きるためには自分の中身をそっくり入れ替えないといけない。

 

そっくり入れ替えるためには、自分の中身を知っていつでも取り出せるように準備しとかないといけないよね。

 

そこで、ブログだ。

 

文章で自分を表現する事ができれば自分が何を考えているのか明確にわかるし、それがわかれば自分の中身を取り替えやすくなる。

 

そうすれば僕は一躍スター。僕がハリウッド映画に出るのも時間の問題かな。

 

それに、ブログを書いておけばメディアの目に止まった時に知名度に繋がるよね。

 

僕の人気が出れば、素敵なディナーを君にご馳走してあげられるかもしれない。

 

もちろんそれは君がよければ、の話だけど。

 

だから僕はブログを始めたんだ。

 

俳優になるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を書こうと思ったかって?

 

それはね、僕が働きたくないからさ。

 

だってそうだろう?君は働きたいかい?

 

毎日サラダボウルみたいにミックスされた電車に1時間も乗って、上司に怒られて、雀の涙くらいの月給で、そんなの嫌だろ?

 

ブログで成功したら僕の人生はバラ色さ。

 

毎日好きな事をして、それを綴ってお金にして、また好きな事をする。

 

これってとっても素敵なことだと思わないかい?

 

だから僕はブログを始めたんだ。

 

働かないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を書こうと思ったかって?

 

それはね、僕が

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を書こうと思ったかって?

 

それ

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達のマイケルがたまたまブログをやってたからたまに書かせてもらう事にしたよ。

 

なんで僕が文章を

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジョージ。

 

友達の

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、僕はジ

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、

 

 

 

 

 

 

 

ハロー、

 

 

 

 

 

ハロー、

 

 

 

 

 

ハロー、

 

 

 

 

 

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君には夢があるかい?

 

小さい頃から「将来の夢は?」と質問をされ続けてきたよね。

 

もちろん小さい頃はサッカー選手とか、歌手とか、アイドルとか、なりたいものになれると思っていた。

 

でも、大きくなるにつれて現実を知っていったよね。

 

上には上がいる事。

 

この世には天才と呼ばれる一部の人間しか行けない領域がある事。

 

男と女の関係、ビジネス、お金、生活の事。

 

君が夢にまで見てた夢は、現実という汚くて分厚い壁に阻まれてしまった。

 

でもよく考えたら、僕たちはプロが作ったゲームにも文句を言い、テレビ番組がつまらなければダメ出しをして、あの小説家はつまらない、あの俳優は演技が下手。

 

そういう事をよく言うじゃないか。

 

プロまで上がってきた人の表現を見て僕たちはそう思ってしまうんだ。

 

逆の立場でそんなこと言われたら、身も心ももたない。

 

そんなに大変なら僕には、私には無理だって、就職して、安定を得て、結婚して、これでいっかって。

 

なんでなんだろうね?

 

この機会に、よく考えてみよう。

 

まず、「将来の夢」は「叶える」ために持つものだよね。

 

だって

 

「夢は見るものじゃなくて叶えるもの」

 

「努力すれば夢は叶う」

 

そんな言葉を聞いた事はないかい?

 

じゃあ次に、「叶える」ってなんだろう。

 

よく考えてみて。例えば自分の「願い」が「叶」った時、それは「願い」がどうなってる?

 

 

そう、「願い」は「現実」になるんだよ。

 

だから「夢を叶える」って事は「夢を現実にする」って事なんだ。

 

当たり前だろって?

 

でもこれが言葉の面白いところ。

 

夢  なんて単語を使うから、自分の将来がどこかふわふわとして、甘くて、柔らかくて、淡い虹色をしてるコットンキャンディのようなものに見えるんだ。

 

そこには今の延長線上の現実しか待っていないのに。

 

夢 って単語は想像以上に僕らを苦しめる。

 

そのふわふわしたコットンキャンディはとっても美味しそうで、簡単に食べれられるように見える。

 

でも掴もうとすると実体を失くし、僕らを道に迷わせるんだ。

 

そして何回もそれを繰り返して僕らは諦める。

 

こんなはずじゃなかった。ってね。

 

はじめから将来の現実だって思っていれば、そこにはゆっくりと長い道を進む以外の方法はないんだなって思えるし、道にだって迷わない。

 

だから将来の夢なんて物騒な事は言うな。

 

夢なんかに簡単に飛びつこうとして怪我をする前に、じっくり今の現実を味わおう。

 

だって夢は僕たちを惑わせてくる悪魔だから。

 

「将来の現実」で自分はどうなってたいか、どうしたいかって思えば、少しは気合いが入るんじゃない?

 

今何をしたらいいか。

 

何をしたら後悔しないのか。

 

でも、やっぱり未来のことなんてわからない。

 

けれど、将来の現実を考えながら後悔しない選択をし続けたら、きっとそれは素晴らしい人生になるだろうね。

 

君の将来は 君が今いる現実の 延長にしかないんだよ。 

 

それじゃあ今日はこの辺で。

 

じゃんもーん!

 

 

 

あ、あとごめん、これ深夜に書いたんだけど朝見返したらめちゃめちゃ恥ずかしかったわこれ、ごめん、夜の自分を過信しないほうがいい、

 

(じゃんもーん!)