絵に書いたような 【かんたまん】


detune. / さとりのしょ PV

11月から我が家に住み着いているインコは、とにかく自由に生きている。
鳴きたい時に鳴き、食べたい時にナッツを食らい、眠たい時には寝る。イビキだってするし、嘘だってつく。自分より遥かに大きいヒトにだって噛みつくし、神棚にだって顔を突っ込む。

 

生活をしているのだ、彼は。まだ性別はよく分からない。声真似をしないので多分メス。

 

生活は生存とは違うんだって気づいたのは大学に入ってすぐだった。日本の街中から死の恐怖が消えて、もうすぐ一世紀が経つ。相変わらず自動車事故は恐ろしいし、戦争やイジメは無くならないし、都市には人殺しだっているけど、僕は死を感じることはほとんどない。

でも、それだけじゃ満足出来ない。満足出来ないように設計されてしまったのだ。誰によって?消費社会によって!

「ドイツ人と同じ割合で、インド人もまた自動車を持つとするならば.......世界にそれだけの資源はあるだろうか?」どこかの国の大統領の叫びは、月に行きたい社長の耳には届くはずもない。

ぼくらはトポロジーの彼方ではインコと同じ。生存ではなく、生活を求めているだけだ。それでも生活は消費を産み、消費は資源と引き換えに資本を生み、やがて月の裏側にも電柱を張り巡らしてしまうのだろう。資本主義は冷戦に勝利したが、歴史は未だ答えを知らない。

 

好きな歌詞がある。

「絵に描いたような 街はやがて 月にもできるんだ 星が消えない でも生きているんだ」-新約さとりのしょ

 

月に住み着く僕らの子孫は、息継ぎができる酸素のゆとりを持つだろうか?全てはミネルバのフクロウ、籠の中の小鳥に過ぎない。

 

うまく考えがまとまらなかったな。また今度書きます。じゃんもーん